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福岡高等裁判所 昭和29年(ネ)884号 判決

控訴人 被告 安永勝信 外一名

被控訴人 原告 日本化薬株式会社

代表者取締役 原安三郎

訴訟代理人 山田思郎 外一名

主文

一、原判決を取り消す。

二、控訴人安永勝信が被控訴人から一万五千円を受け取ると引換に控訴人両名は被控訴人に対し戸畑市中原字今屋敷八五九番地の一、家屋番号西中原町二二番木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一一坪九合五勺外二階し一〇坪五合を明け渡すべ。

三、被控訴人その余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は第一.二審を通じ控訴人らの連帯負担とする。

五、第二項にかぎり被控訴人において控訴人両名に対し三万円の連帯担保を供するときはかりに執行することができる。

事実

控訴人久保秀代は合式の呼出を受けながら昭和三〇年七月七日午前一〇時の当審最初の口頭弁論期日に出頭しないので、陳述したものとみなされる控訴状及び同年三月一二日附「準備書面の追加」と題する書面によると、同控訴人及び控訴人安永勝信は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「原判決を左の通り変更する。控訴人両名は被控訴人に対し主文第二項記載の家屋を明け渡すべし。控訴人安永勝信は被控訴人に対し昭和二四年八月一六日以降右明渡にいたるまで月二千円の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は第一、二審とも控訴人らの負担とする。」との判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求めた。

事実及び証拠

被控訴人の部 被控訴人は昭和二三年一二月一九日控訴人安永勝信から同人の所有で同人及びその内縁の妻である控訴人久保秀代が居住していた主文第二項表示の家屋を被控訴会社の従業員社宅とする目的をもつて代金一六万五千円で買い受け、うち金一五万円を支払つて翌二〇日被控訴人名義に所有権移転登記をなした。右売買にあたつて家屋は残代金一万五千円の支払と同時に遅滞なく明け渡すという趣旨の約束であつたのにかかわらず、安永勝信は自己の移居すべき家屋の現居住者に対して、家屋明渡の訴訟を提起し訴訟進行中であるから暫時猶予されたいと申し出で、また残代金の支払あるまで明渡義務がないと主張するのであるが、被控訴人は右の猶予の申出を承諾したことはなく、既に売買代金中九割一分余に相当する代金を支払つているし、家屋を遅滞なく明け渡すという前示契約の趣旨に照らし、安永勝信は同家屋を占有使用することによつて遅くとも昭和二四年一月一日以降は同家屋の賃料相当額月三千円の内少くとも毎月二千円以上の不当利得をしている。よつて被控訴人は安永勝信に対し昭和二四年一月一日以降同年八月一五日まで月二千円の割合による不当利得金一万五千円の返還請求権と前示残代金債務とを対当額につき相殺の意思表示をなし、控訴人らに対し家屋の明渡を求め、尚安永勝信に対しては同年同月一六日以降明渡すみに至るまで月二千円の割合による不当利得の返還を求める。控訴人安永勝信が訴外高橋直成から移居すべき家屋を買い受け、同家屋の居住者原田繁太郎に対し明渡の訴訟を提起し、同訴訟の第一審の口頭弁論が終結に間近いことは認めると述べ、原審証人定元梅吉、当審証人井上義治(第一、二回)の各証言を援用し、乙第一号証の成立を認めた。

控訴人らの部 被控訴人の主張事実は売買代金額、家屋明渡の期限、賃料相当額の点を除いてこれを認める。控訴人らは中華民国から帰還したが従前控訴人安永勝信の所有した家屋が戦時中強制疎開により撤去解体されていて、居住する家屋がなかつたので訴外浜田茂から直ちに明渡を受ける約束の下に本件家屋を坪当二二万四千五〇〇円で買い取つたが、当時同家屋には定元梅吉夫婦外その子女四名の六名の家族と貝原シゲヨ、貝原時江らが居住し、殊に定元梅吉の妻アキノは同家屋で助産婦業を営んでいて、他に移転すれば多年経営の上開拓した得意先を失う不利益等があるといつて容易く明渡に応じないため、やむなく控訴人らは本件家屋の階上に引き越し同一家屋に前記の者らと同居したけれども、その後定元夫婦には次々に子供が生れて八名の家族となり、広くもない本件家屋に三世帯の多数の者が同居するに堪えきれないで、被控訴人安永勝信は公認宅地建物取引業者中山俊二に依頼して、損失を顧みずに、同家屋を僅か一六万円の安値で被控訴人に売り渡し、内金一四万五千円を受領したのであるが、右のような事情からして、本件家屋を簡単に明け渡すことの到底不可能なことは被控訴人において知悉した上での売買である。それ故にこそ被控訴人は残代金一万五千円を家屋明渡の保証金と称して一方的に支払を留保し結局同金員は家屋の明渡と引換に支払うことと定めたのである。その際被控訴人は、一万五千円に対する金利は当時巷間一般に行われた月一割として月千五〇〇円で、これを本件家屋の家賃と考えて見ても相当であると説明し、相当長期にわたり家屋の明渡を受け得ないことを認容したのであつて、被控訴人主張のような明渡期限の約束はなかつたのである。しかし、元来控訴人らは右のように同居に堪えないで、他に移居する必要から売却したのであるから、移転先を探して移居するとともに被控訴人に本件家屋を売り渡した責任上も、明け渡さなければならないので、移転を準備するため、昭和二四年一月二八日高橋直成からその所有の戸畑市東本町一二町目一六一番地所在家屋を明け渡しを受ける約で買い受けたが、同家屋もこれを賃借居住中の原田繁太郎が賃借権を主張して明渡請求に応じないため、同人に対しての移転に必要な家屋を買い与える外はないと考え、同人居住の右家屋の近くに四室ある住宅を控訴人安永において買い取り原田繁太郎の所有として登記をなし、これを無償譲渡することを条件として訴外中山俊二を介し明渡方を交渉したけれども、原田は頑としてこの好意ある申出にも応ぜず遂に交渉は決裂したので、控訴人安永は昭和二七年一〇月二〇日原田を被告とし福岡地方裁判所小倉支部に家屋明渡の訴訟を提起し(同庁昭和二七年(ワ)第五四七号)漸く昭和三〇年三月二二日口頭弁論は終結されたが、判決言渡のないまま今日に至つている。従つて控訴人らは原田から右家屋の明渡を受けてこれに移転する以外に居住の場所がないので本訴請求は不当であると述べ、控訴人安永勝信において、被控訴人は原田が前示家屋を明け渡して控訴人がこれに移転するまで本件家屋の明渡を猶予したのであるからいまだこれを明け渡す義務がない。被控訴人は既に本件家屋の所有権移転登記を受けているが、売買代金は特別の事情のないかぎり当然右移転登記と同時に支払うべきであるのに、控訴人の事前の承諾もなく一方的に一万五千円を控除留保して支払わないので、控訴人は家屋を明け渡す義務がないし、本件家屋の所有権はいま尚控訴人にあるし、賃料相当の不当利得を返還すべき義務もない。かりに支払う義務があるとしても本件家屋の賃料は月一九三円六〇銭であるから、これを基準としたる金員を支払えば十分である。なお被控訴人は本件家屋の売買代金全額を支払うべき義務を履行しないので右売買契約を解除する。従つて被控訴人は控訴人から一五万円を受け取ると引換に控訴人に対し本件家屋の所有権移転登記をなすべきであると述べ、乙第一号証を提出し、当審証人中山俊二の証言を援用した。

理由

被控訴人の請求原因事実は売買代金額、家屋明渡の期限、賃料相当額の点を除いて総べて当事者間に争がない。当審証人中山俊二の証言及び同井上義治の証言(第二回)並びに当事者弁論の全趣旨を合せ考えると、控訴人安永勝信は自己の住居とする目的で訴外浜田茂から同人所有の本件家屋を二二万四千余円で買い受けたのであるが、当時同家屋には定元梅吉夫婦及びその家族並びに貝原シゲヨ外一名の二世帯が賃借居住し、殊に定元の妻アキノは本件家屋で助産婦業を営んでいたため、他に移転すれば得意先を失うなどの不利益を被るところから容易に家屋の明渡を肯んじないので、右定元、貝原らに対する賃貸人たる控訴人安永勝信はやむなく本件家屋の二階の明渡を求めて同二階に移居して来て結局広くもない家屋に三世帯の多数の者が同居することとなつたのであるが、控訴人らは遂に右のような同居の不便や煩らわしさに堪えないで、他に住宅を求めることを決意し、控訴人安永勝信は訴外中山俊二の仲介により本件家屋を被控訴人に売り渡すこととし、被控訴人は、自己の従業員社宅とする目的をもつて同家屋に前示の者らが賃借居住することを了知の上昭和二三年一二月一九日代金一六万円で買い受け翌二〇日所有権取得の登記をなし、代金中一四万五千円を同控訴人に支払い、残金一万五千円は家屋全部の明渡と引換に支払うことと定め、(これによつて本件家屋の所有権は被控訴人に移転したものと解すべきで、同家屋の所有権が今なお控訴人安永勝信にありとする同控訴人の主張は採り難い)なお家屋明渡の期限は暦日による月日こそは定めなかつたとはいえ、控訴人安永勝信が可及的早く適当な移転先を探して移居した上で本件家屋を明け渡しこれと同時に、定元、貝原らの前示居住者らを本件家屋から立ち退かせて明け渡すこととし、この時を明渡期限と定めて、該明渡と引換に被控訴人から控訴人に対し残代金を支払うことを約し、一方控訴人ら夫婦は本件家屋を売却するに至つた前記の動機及び事情や買主たる被控訴人に成るべく早く本件家屋を明渡すべき義務があることからして、移転を準備するため移転先として昭和二四年一月二八日控訴人ら主張の家屋を訴外高橋直成から買い受け同家屋を賃借居住していた原田繁太郎に対し四室ある家屋を買い与えてまでも右高橋から買い受けた家屋の明渡を求めて同家屋に移居しようとしたばかりでなく、昭和二六年頃には立退料二万円を支払つて定元梅吉夫婦を本件家屋から立ち退かせていることが認められる。以上の認定に反する原審証人定元梅吉の証言及び当審証人井上義治の証言(第一、二回)は信用しない。

以上の認定事実によると本件家屋売買当時は勿論その以後においても一般に家屋が払底して極度の住宅難にあることは当裁判所に顕著な事実であるけれど、売買契約後既に満六年以上を経、まさに満七年になんなんとする現在においては、既に明渡の期限は到来しているものと解すべきであり、控訴人安永勝信は残代金一万五千円の支払を受けると引換に本件家屋を被控訴人に明け渡す義務があるのは当然であつて、同控訴人の内縁の妻で同控訴人と同居する控訴人久保秀代は、内縁の妻たる身分を離れては同人単独で本件家屋を占有使用するなんらの権限もないのだから、内縁の夫安永勝信に明渡義務がある以上内縁の妻たる久保秀代もまた勝信と共に本件家屋を明け渡すべきものと解しなければならない。

控訴人安永勝信の売買契約解除の抗弁については、同控訴人が被控訴人に対し残代金の支払を請求して拒絶されたことは前記中山俊二の証言により認められるけれども、同控訴人が自己のなすべき反対給付たる本件家屋の明渡を準備の上提供して残代金の支払を催告したことは認められないので、解除の意思表示はその前提を欠き解除の効果を生じないことが明らかである。同控訴人の明渡を猶予する合意が成立した旨の抗弁事実も認むべきなんらの証拠がなく、前記井上義治の証言(第二回)によると右のごとき合意の存しないことが認められるので右抗弁は採用し難い。

つぎに被控訴人の不当利得返還請求及び同請求権に基く相殺の主張について考えるに、不動産の売買においては特別の事情のないかぎり売主の有する売買代金債権と同時履行の関係に立つものは買主の有する不動産所有権移転登記請求権であつて、不動産(引渡)明渡請求権ではないと解するのが相当であり、ただ売主のみが居住する自己所有家屋を買主の住居に使用するために売却した場合にあつては、通常売買代金の支払と家屋の明渡とを引換になすことが多いのであろうが、本件のように自己の従業員社宅に供する目的で売主が賃借人らと同居して居住する家屋をそのことを了知しながら買い受けた場合にあつては、売買家屋の明渡と売買代金の支払もまた常に同時に履行さるべきものと推定されるものとは限らず、殊に本件においては先に認定したことから明らかなように既に売買の目的たる家屋は被控訴人に所有権移転登記を了し同時に代金一六万円中一四万五千円の支払を終り、しかも売買家屋の明渡と引換に残代金を支払うことを特約したものであるから、自然右の家屋の明渡と代金の支払とを同時に為すべきものとする推定は履えされ、家屋の明渡と同時履行の関係に立つのは、売買代金自体ではなく、売買残代金であることが特約されたものというべきである。(このことは前記井上、中山の各証言によつても明認される。)されば被控訴人が残代金を支払わないかぎり控訴人安永勝信は同時履行を抗弁として本件家屋の明渡を拒絶して引き続き同家屋を占有使用することができるのであつて、その占有使用をもつて不当利得とする被控訴人の主張は失当であるから、売買契約所定の明渡期限(残代金支払期限)の日時を確定するまでもなく、不当利得返還の請求及不当利得返還請求権に基く事実摘示の相殺の主張は排斥を免れない。(このことは被控訴人にとつて衡平を欠くうらみがあるけれども、前示特約の存する以上やむを得ないことである。もつとも被控訴人が残代金一万五千円の幾何かを支払つたときは支払額の残代金額に対する比率に応じて本件家屋の賃料相当額に対応する金額を不当利得として控訴人安永勝信に請求しうることは、売買代金と家屋明渡とが同時履行の関係にある場合、その代金中の相当額が支払われたるときにおいては、支払額に対応して不当利得返還請求権の成立することと等しく固よりその所であるが、そのことは、いまだ残代金中些少の支払もない本件においては問題とならないところである。)

よつて、被控訴人の請求は主文第二項の限度において認容しその余を失当として棄却すべく、仮執行の宣言については、控訴人ら主張の原田繁太郎に対する家屋明渡の訴訟がいまなお第一審裁判所に係属中であることの当事者間に争のなき事実から推して、控訴人らが折角移転先として買い求めた家屋にいま直ちに移転することの不可能な状態にあることも推認されるのであるけれども、(井上義治の証言中右訴訟は控訴人安永勝信勝訴の確定判決があつていつでも原田居住の家屋に移居しうる旨の部分は措信し難い。)既に売買契約の日から満七年に達せんとする日時を経過していることではあるし、また残代金の支払という反対給付と引換に家屋の明渡を命ずる場合においても仮執行の宣言をなしうることは、民事訴訟法第一九六条の規定に照らし自明のことであるから、被控訴人において、控訴人両名に対し三万円の連帯担保(すなわち各控訴人に対してそれぞれ一万五千円ではない)を供するときは仮りに執行することができる旨宣言することとする。(訴訟費用の負担を命ずる部分については必要がないものと認めて仮執行の宣言をしない。)

されば、原判決は結局不当であつて控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条第九六条第九二条第九三条第一九六条を適用し主文の通り判決する。

(裁判長判事 桑原国朝 判事 二階信一 判事 秦亘)

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